満点の星空。
 草薮から聞こえてくる、虫の鳴き声。
 波裾が打ち寄せる音が響く砂浜に、ぽつんと小さな灯りがあった。
 枯れ草や枝などがぱちぱちと燃える焚き火の傍には、膝を抱えて小さくうずくまる娘と、深い眠っている小さな少年の影があった。

 やっとの思いで火をつけた両手は、すりきれてじくじくと痛む。
 体は深い睡眠を求めていても、はぐれの気配がするために深い眠りが取れず、岩を背にして砂浜に座る格好のまま、はまんじりと――ひたすら朝を待ち続けていた。
 満月から注がれた魔力(マナ)のおかげで、傷や打ち身だらけの体も、ある程度回復した。
 けれど召喚師の命でもある杖やサモナイト石をほどんど失い、召喚師の証でもある十字の外套は、今は小さく畳まれて枕代わりとなった。
 白い砂と濃紺の外套に映える、鮮やかな朱色の髪のグラデーションは、こんな時でなければ感嘆物なのだろう。その決して安らかとはいえない寝顔を見下ろしながら、は朽ちかけた杖とサモナイト石を縋るように握りしめた。
 目を閉じれば、思い浮かぶのはあの瞬間。
 雨に濡れそぼった若葉の髪と、船の外べり。打ち付ける嵐。
 上も下も分からない海の中、必死に手を伸ばして掴んだサモナイト石に、助けを求めるようにありったけの魔力を注ぎ込んだ。

 それが、忌避していた――無色の石だとも知らずに。

 成長したつもりだった。
 見習いの時分よりずっと召還術に長け、戦闘や野宿にも手馴れたものになった。
 その慢心がこんな事態を二度も起こす羽目になったのだと、は緩みそうになる涙腺を戒めてぎゅっと唇を噛んだ。
 うっすらまどろんでは慌てて眠気を払い、また眠りかけては悪夢に飛び起きる、そんな悪循環を何度も繰り返して、ようやく東の空が白み始めていた頃。

「……ど、して……?」

 はっと顔を上げれば、小さな体が砂浜から起き上がろうとしていた。
 呆然とした横顔は海を見つめたまま、の存在には気づいていない。伸ばしかけた手の動きが一瞬止まり、音を漏らさないように息を飲む。
 けれどは心を決めて、おそるおそる少年に声をかけた。

「気が、ついた?」

 虚ろな表情で海を見つめていた少年が、弾けるようにを見た。
 ぱちりと瞬いた目は、闇夜でも分かるほどきれいな翡翠色だった。
 寝ぼけているかのように不思議そうに見上げてくるその様子に、は胸が張り裂けそうになった。

「あの、気分はどう? どこか痛いところはある?」
「……えっと、へいき、だけど……」

 言葉を捜すようにうろうろと視線をさ迷わせる。
 けれどいくら目を凝らしても夜の砂浜以外に求める答えは見つからず、少年は意を決したようにを見上げて、おそるおそる言った。

「ここ、どこなんだ? 俺、どうしてこんな所に――」

 それが限界だった。

「……ごめんなさい……ッ!!」









「私が、無理やり召喚してしまったの」
「……しょうかん?」

 嗚咽で引き攣れた声に、少年が不思議そうに呟く。
 とめどなく落ちる涙は、砂浜に吸い込まれて乾く暇を与えない。
 ずっと握り締めて人肌に温められていた石を、そっと少年の手に乗せると、呼応するようにぽうっと内側から淡く輝き出した。
 薄らと赤味がかった輝きを放つ、ミルク色の石に刻まれた――。

「俺の、名前?」

 美しい流線で縁取られた、には読めない――けれど見覚えのある文字を、白い指先が撫でる。

「召喚術は、この石を媒介にして召喚獣を呼び出すの。……けど私は、また定まった世界以外から喚んでしまって……」

 幸か不幸か、『また』という言葉の意味を問い返せるだけの気力はなかった。
 だから何とか理解できたことを確認するために、少年は口を開いた。

「……つまり、事故で俺が喚ばれたってことなのか?」

 は唇を噛み締め、頷いた。
 そして頷いたまま俯きそうになる体を必死に叱咤して、は翡翠色の瞳を見つめ返した。

「きっと家に帰す方法を見つけるから! 時間はかかるかもしれないけど……絶対、元の世界に戻してみせるから……っ」

 四界や『名も無き世界』の扉を開くことすら、今のでは満足に行えない。
 その上、目印も座標もないまま、数多の世界から望むたった一つの世界の扉を開くことなど、不可能と言った方が楽なほど途方もない技術と幸運が必要だった。
 けれど、無理やり引きずり込んでしまった彼らに、どうして『帰せない』と言えるだろう。

「……ッごめん、なさい! ごめんなさい!」

 もう泣いたりしないと決めたのに。
 自責する暇があるなら少しでも召喚術を学ぼうと、彼らを帰すまでは泣く暇などないと、あの時決めたはずなのに。
 何一つ進歩していない自分への嫌悪に、涙があふれ出た。

「……ごめんっ、なさ……!!」

 とうとう嗚咽で言葉にならなくなって蹲ってしまったは、柔らかなものが触れているのを感じた。
 頭から伝わる、ふわふわとした感触。
 零れ落ちる涙で赤くなったを宥めるように、小さな柔らかい手が、そっとの髪を撫でつけていたのだ。
 何が起きたのか分からず、呆然と水色の瞳を見開くに、翡翠色の瞳が困ったように細められる。

「……そんなに、泣くなよ」

 その声に秘められた優しさに、ティカの肩が震えた。

「よく分からないけどさ、わざとじゃなかったんだろ? 俺、これでも結構強いし、野宿も慣れてるからさ、大丈夫だって」
「で、も……っ」
「元の世界に返してくれるって約束してくれるなら、それで十分だからさ。だから泣くなって」

 責められるはずなのだ。
 元の世界に帰せと、罵られるはずなのだ。
 けれど事情を真摯に理解し、その上で許そうとしてくれるその大人びた表情に、の眦からぽろりと――先程とは込められた感情の異なる、涙が零れた。
 どうして彼らはこんなにも優しいのだろう。
 故郷の世界から引き裂いたのは、他ならぬ自分なのに。
 奇跡のような彼らの優しさに答えるために、ぼろぼろと涙を零す目をぐっと我慢させ、嗚咽が零れないように唇を噛み締めて堪えていく。

「本当に、ごめんなさい……っ」
「それはたくさん聞いたから、もう謝るの禁止な。それより、自己紹介しようぜ。俺はルーク」
「……・バーネット」

 優しくおどけてみせる少年が、差し出した手。その小さな小さな手を両手で握りしめ、はきゅっと唇を真一文字に引き締めた。
 約束しよう。
 例えどんなことをしてでも、自分がどうなろうとも。
 私は彼を――彼らを、絶対に元の世界へと戻してみせる。
 そんな暗く固い誓いを胸に秘めて、は赤くなった目元を恥ずかしそうに擦る。泣いてばかりで説明もほとんどできていなかったことも思い出してしまった。

「……えっと、泣いてばかりでごめんなさい。それじゃ、朝になるのを待とう。はぐれもいるし、歩き回るのは危ないから」
「はぐれ? ここどこなんだ?」
「多分、どこかの無人島、だとは思うんだけど」

 まずは飲み水の確保、もしくは人里の発見。
 二人に付き合ってサバイバルの体験本を読んでいたのがこんなところで役に立つとは、と苦笑いしたの目の前で、ぱあっとルークの顔が明るくなった。

「無人島!? ほんとに!? うわ、すっげー!!」

 あれ、何だか目が輝いたような。
 というかこのキラキラした眼差しに見覚えが。
 なんて軽いデジャヴュに襲われているは、知るよしもない。――この年頃の男の子は皆、『無人島』だとか『探検』だとか『秘密基地』というものが、三度の飯より大好きだということを。

「え、でもなんで無人島にいるんだ?」
「それが嵐に巻き込まれて船から落ちちゃって、運よく流れ着いたんだと思う。あの海域に人が住んでる島はないはずだから……」
「……よく生きてたなぁ」
「うん。だけど荷物もばらばらだし、二人とも離れ離れになったから……」

 必死に手を伸ばしてくれた二人の顔が浮かぶ。
 彼らの名前が刻まれた、大切なサモナイト石。
 唯一召喚済みのそれが懐にあるのを確かめて、はほっと安堵の息を吐いた。契約は切れていないし、魔力の流れもわずかながら存在する。彼らだけでも無事でいて欲しい。

「朝になったら島を探検だよな! うわすっげーわくわくする!」
「いや、危ないから気をつけようね? 多分森の方には獰猛なはぐれもいるし……」
「わかってるって!」

 砂に埋まっていた剣をぶんぶんと振り回すルークに、の顔にも微笑が浮かぶ。
 レベルの低いはぐれなら一人でもどうにかなるし、あちこちに流れ着いた漂流物もある。いざとなればワイヴァーンで最寄の島まで送ってもらえばいい。
 そう算段をつけて朝を待つに、ルークは傍に寄って腰を下ろした。

「なぁ、召喚術ってどんなのか聞いてもいい?」
「召還術っていうのはね、今いるこの世界、リィンバウムから他の四つの世界の対象を呼び寄せる技術のことで――」


 夜明けの朝。
 あの日のように、何かが始まったと告げる動悸。
 いつの間にか繋いでいた手は、不思議なほどに暖かかった。





 シリアス過多で失礼しました。
 ルークが自分の幼児化に気づくまであと三分。  この後アズリア率いる帝国陸軍と鉢合わせし、無理やり戦闘に。そして遅れて登場したイオンとシンクにフルボッコにされます(笑)。

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